Aug 23, 2010
廃車を業者に依頼する場合に必要な書類
廃車を業者に依頼するために必要な書類は、免許証のコピーと車検証原本、車検証と同一の認め印、自賠責保険の原本、印鑑証明書、印鑑証明書と同じ印鑑が必要です。また、書類ではないが、廃車するために手数料がかかりますので、廃車をスムーズに進めると思えば、必要な書類をあらかじめ準備することをお勧めします。今年に入り2カ月連続で交通事故を起こしてしまった。 1つ目は、駐車中の車にちょっとぶつかった程度であるため、衝撃にも大きくはなかったが、第二は、オートバイと接触事故だった。以来、運転するのが怖くて、交差点でものろのろと曲がっていたり、必要以上にスピードダウン運転しまうので、不必要な危険である。しかし、車がないと生活できないので、毎日運転している必要がされておらず、交通事故の後、2ヶ月、本当に精神的なショックが大きく、日常生活にも支障が出るほどだった。また事故起こしてと思わない。
「男と女のお話」などがヒットした歌手・日吉ミミ(本名・黒岩和子)さんが10日午前5時30分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去していたことが11日、わかった。埼玉県出身。64歳だった。故人の遺志により、11日に都内の斎場で親族のみによる家族葬が行われ、荼毘(だび)に付された。喪主は所属事務所の代表取締役社長で夫の黒岩慶三氏。
日吉さんは2009年4月に膵臓がんが見つかり、同5月25日に8時間にわたる大手術を受けた。術後には定期的に検査と抗がん剤治療を受け続けながら、仕事復帰を果たし、自身の闘病体験をもとに10年5月に新曲「いのちのしずく」を発表。同曲のキャンペーン中に、09年の膵臓がん手術を公表していた。
今年に入り体調を崩して再入院。8月10日に夫や親族に見守られながら旅立ったという。病床にあっても最後まで、来年に迫った45周年への夢を語るなど復帰への意欲を見せていたという。
日吉さんは47年、埼玉県浦和市生まれ。67年に池和子の名前でデビューしたが、69年に日吉ミミに改名。70年に発売した「男と女のお話」は、独特の声による切ない歌い方と高い歌唱力で大ヒットとなった。その後も「ムー一族」の劇中歌「世迷い言」、ピップエレキバンのCM曲「北風ぴゅうぴゅう」などで話題をふりまいた。バラエティー番組でも存在感を発揮した。
お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太(34)が11日、都内で「FF零式」のPRイベントに出席した。
陣内智則(37)や田村淳(37)ら先輩芸人が相次いで熱愛発覚。山里は「僕もラブゲームを攻略したい。ラスボス(ラストボス)級の有名女優を落とす!」と鼻息を荒くした。最近のお気に入りの女優として石原さとみ(24)を挙げ「あの子は相当なボス」とニヤリ。
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肺がんのため7日に64歳で亡くなった歌手のジョー山中(本名山中明=やまなか・あきら)さんの前夜式(通夜)が11日、東京・北品川のキリスト品川教会でしめやかに営まれた。内田裕也(71)やラモス瑠偉氏(54)ら約800人が参列。45年来の友を失った裕也は「震災支援や海外ボランティアにこれだけ頑張ったジョーにはレゲエを通して世界平和を訴えたボブ・マーリー賞を贈りたい」としみじみ語った。
幼き日の一時期を養護施設で過ごした山中さんはクリスチャンではなかったが、時々慰問してくれたシスター(修道女)への感謝の気持ちをずっと持ち続けていたという。喪主を務めた聡子夫人(36)が信者だったこともあり教会での別れのセレモニーとなった。
約2500本の赤いバラで飾られた祭壇の中央にはほほ笑んだ遺影。08年10月5日、東京・日比谷野外音楽堂で行われたフラワー・トラベリン・バンドのライブの写真で、本人が気に入っていた1枚という。
「人間の証明のテーマ」など3枚のゴールドディスクに囲まれた白い棺の中で眠る山中さんにはオフホワイトのマントがかけられ、腰にはジャマイカの労働者階級や農民たちのシンボルカラーであるラスタ(緑、黄色、赤)のロングスカーフが巻かれていた。デビッド・ボウイらの衣装を手掛ける世界的スタイリスト高橋靖子さんが丹精込めてデザインした旅立ち用のコスチュームだ。
ショックのあまりコメントを出していなかった裕也は「真っ白なスーツを着ているようで“これから天国のステージに立つんだ”という声が聞こえそうだった」としんみり。「ジョーが19歳の時、ともに世界を目指したが、同じ夢を持てて幸せだった」と振り返った。
そして口をついたのが「ボブ・マーリー賞をあげたい」という言葉。36年という短い生涯を「肌の色の違いを超え、同じ人類として生きよう」と訴え続けた“レゲエの神様”を引き合いに出した。裕也は「ジョーは震災支援や海外ボランティアにも懸命に取り組んだ。カンボジア、アフガニスタンなど回った国は22カ国。自身が施設で育ったこともあって、本当の愛を持った男だった。民主党政権はどうして、こういう男に勲章を与えないのか。悔しい」とボルテージを上げた。
音楽仲間たちの演奏も挟んで進行した式のあとには都内のホテルに場所を移して裕也主催の「しのぶ会」が開かれた。葬儀・告別式は12日午前11時から同所で営まれ、裕也が弔辞を読む。
≪弔問客にメッセージ≫弔問客には、遺作になったアルバム「Going Back To Jamaica」(09年)のプロモーションビデオが入ったDVDが配られた。ジャマイカでレコーディングした時の様子が収められている。シングル「A MAN’ beyond the sky」(00年)の歌詞の一部「空の彼方から愛を…one love」と記されたメッセージカードも添えられた。式には萩原健一(61)、ミッキー・カーチス(73)、舘ひろし(61)、ミッキー吉野(59)、三池崇史監督らが参列した。
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